今回、高校時代の恩師佐伯先生より依頼を受け「コートの仲間」にデビューすることになりました。私の近況としては、インターハイを始めここ近年広島での大きな大会も多く、昨年から高体連バレーボール専門部の総務を引き受けた関係上、他県の広島大学バレー部の卒業生と会う機会が多くなりました。懐かしい顔にも多く会えるのですが、県の委員長さんと一緒に行動している私を見て「えろーなってから」とからかわれます。
しかし、この役員を引き受けたのには訳があって、大学卒業から長い間広島のバレーボールに貢献できなかったことが気になっていたことと、広島県の委員長(高校の先輩)に「お前しかおらんのんじゃ」と半ば強制的に頼まれたからで、ちっともえらいわけではありません。
現在赴任している高陽高校(新採以来まだ2校目)に来るまでの10年間はクラブというより生徒指導の方が大変な学校でした。女子バレーボール部の顧問をしていましたが部員も少なく県大会には1度も出場したこともありません。そのため10年間で信頼して卒業させることが出来た部員は10名程度でした。
高陽高校に赴任して女子バレーボール部の顧問になってからは、生活も今まで以上にバレーボール漬けとなり、37歳にして(大学1浪、教員採用試験4浪、バレーが毎日出来る学校10浪)初めて県大会に連れて行ってもらいました。(当然前任者が土台を作ってくれていたというのも大きな要因でした。)
高陽高校の女子バレーボール部は、バレーボールの盛んな安佐南区や安佐北区の中学校出身者が多いのですが、活躍していた選手というより、その人達と一緒にバレーをしていたという生徒ばかりです。バレーボールで生徒を勧誘できる入試制度もなく(もちろん勧誘したこともありません。)、高校受験を乗り切って、バレー部に入部するわけですが、毎年多くの部員が入部してくれるので人数の面では困りません。
高陽高校というバレーボールの出来る環境で自分の可能性にチャレンジして今年で6年目になりました。いくらか、私の取り組みを紹介して近況報告に代えさせていただきます。
(1)高陽高校女子バレーボール部通信
赴任2年目から作り始め、現在84号まできています。中には、高校・大学時代のエピソードも添えたり、他チームの監督コメントを入れたりと、読んで飽きないものにしようと毎回悩みながら作っています。
(2)高陽高校女子バレーボール部五訓
赴任後、部員達の生き生きとした活動姿と自分のバレー観を照らし合わせて作りました。
一、私たちが毎日バレーボールをできるのは、まわりの人の協力や理解があるからである。
その人たちへの感謝の気持ちを大切にし「礼儀」を尽くそう。
一、バレーボールをすることが自分にとってプラスとなるよう日常の生活も大切にしよう。
そして、二十四時間 バレー部員として「誇り」のある行動をとろう。
一、毎日の積み重ねが一人ひとりの財産となり、チームの力となる。
毎日の練習を大切にし、「感動」のあるバレーボールを目指そう。
一、逆境に立ったときには特に、大好きなバレーボールをしていることを思い出し、
一人でも多くの人に勇気と元気を与える「笑顔」でこたえよう。
一、いつどんなときでも自分たちの可能性を信じ、最後までやり抜く精神力を身につけよう。
そして自分たちで新しい歩み「新歩」をきりひらこう。
最後に、広島地区に帰ってきて6年になりますが、ここ5年間では激戦の広島地区予選をクリアし常時県大会に顔を出せるようになりました。また、中国新人大会にも3年連続で出場することができました。ひとえに、指導者として未熟な私についてきてくれた生徒達と、いろいろと支えてくれたバレー仲間(合宿や飲み会などで弱音を吐いている私に、叱咤激励をくれた他校の顧問の方々など)のおかげです。ありがとうございました。
卒業生の主な活躍(平成17年新人戦〜18年総体の高等学校分)
故 横田宗男先生 市立沼田高校 平成17年度広島県バレーボール新人戦 優勝
第14回中国新人バレーボール大会 優勝
*春の選抜を迎える前に亡くなられました。
安積英司先生 安田女子高校 第14回中国新人バレーボール大会 3位
第58回中国バレーボール選手権大会 3位
和田直樹先生 銀河学院高校 第14回中国新人バレーボール大会 7位
第58回中国バレーボール選手権大会 出場
平木一史 高陽高校 第14回中国新人バレーボール大会 出場 |