コートの仲間第18号 OBからの一言


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バレーボールとともに
21期 多田 牧子
 太ももの周囲が60cm あったあの頃。大学時代は「ストロングカクイチ」と呼ばれていました。卒業して35 年、あと3年で定年を迎えようとしています。好きなバレーボールがやりたい思いだけで、ここまで来たような気がします。教員になりたいという強い思いがあったわけではない私ですが、ここまで来れたことはバレーボールとの出会いがあったからだと思っています。中学生の時はまだ9人制でした。高校は、父親の転勤で広島から山口県山口市の山口中央高校へ。2期の山田英生先生が指導をされていたバレー部へ入部し、高校3年生の時は父の転勤で一人山口に残り下宿生活をしました。インターハイを目指しましたが惜しくも県で2位。インターハイへの夢は崩れ去りました。広大を受験してみないかという山田先生のアドバイスで、「バレーが出来る」の思いだけで受験、まぐれで合格させていただきました。しかし、大学紛争真っ只中、自宅待機の日々が続き、入学はいつのことになるか見通しもなく過ごす日々…。6月、やっと吉島公園で入学式を迎え、入学はしても授業はまともになく、チューターの先生が色々心配して下さり、茶臼山登山やアーチェリー体験など校外で出来ることを計画して下さったりして過ごす日々でした。(バリケードで大学は封鎖されていました。)しかし、バレー部の活動は千田コートで始まっていました。体育館はなくアウトコートでの練習、それでもバレーが出来るだけでとても充実していました。夏休み前にあった五大学大会は鳥取で開催され、夜行列車で行ったのが懐かしい思い出です。福山分校との合同チームでしたが、島根大学との実質決勝戦、急に西村先生からメンバーチェンジの指示があり、コートに入るなりいきなりスパイクを2本続けてふかしてしまい、私のミスで優勝を逃してしまいました。大学デビュー戦は大変迷惑をかけてしまいました。そんなスタートでしたが、先輩方や仲間にも恵まれ楽しい大学生活を送ることが出来ました。ありがとうございました。
 今現在は、5校目の学校である広島市立五日市中学校で勤務させてもらっています。生徒と向かい合っていると歳を忘れてしまっている自分がいます。35 年の間には辞めたいと思ったことも何度かありました。30 代は、学校がとても荒れていた時代でした。また40歳過ぎに自分自身がリウマチになり、1ヶ月病休を取ったこともありました。(この時は働けることのありがたさを学ぶことが出来ました。)また、更年期に入った40 代後半、生徒を目の前にしながら、やる気が出ない自分自身に気付き、とても辛い時がありました。でも、やはり今まで続けて来れて良かったと思っています。教員をしていなかったら、こんなにもたくさんの生徒と出会うこともなかったでしょう。子どもに対する自分自身の姿勢として、生徒を一人の人間として尊重するということの大切さを感じています。同じ時代を生きていく仲間としてともに学びながら、成長していきたいと思います。(いつも教えられてばかりですが。)今年は久しぶりの3年生の担任で今進路を前に忙しい日々ですが、明るく元気に、感謝の気持ちを忘れず頑張っていきたいです。しんどい時はバレーの練習に耐えた自分を思い出し、乗り越えられないことはないと言い聞かせています。「バレーボールありがとう」です。年齢とともに体力の衰えを感じる日々ですが、出来るだけ動けるうちは一緒に動きたいと思っています。(でもとっても難しくなりました。)
 皆さんのご健康とご活躍を祈念しております。ありがとうございました。

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