コートの仲間第19号 支部ニュース


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<香川県支部だより>
22期 岡田 誠一
 4 年前のアテネオリンピック、バレーボール男子決勝戦。「決勝戦はブラジル対イタリア、今日の主審は日本の伊藤さんです」と、テレビのアナウンサー。私は、彼の審判に注目しながらテレビ観戦した。試合は接戦、フルセットでブラジルが優勝したが、テレビで見る限り、彼は無難に主審の大役を果たしていた。
 私がバレーを始めたのは、昭和39 年の東京オリンピックで日本の女子チーム「東洋の魔女」が優勝した時からである。中学では体育の授業程度であったが、高校に入学した時に、中学の先輩に誘われてバレー部に入部した。1 年生の時は自分達が中心の自主練習程度であったが、2 年生の時にバレーが専門の指導者が保健体育の教員として赴任して来た。その先生は、「まず頭をくるくる坊主にしてから練習しろ」と言われた。そしてその時から厳しい練習が始まった。同級生の半数くらいは途中で退部したが、私は我慢をし、3 年生ではキャプテンとなり頑張った。
 高校で3 年間バレーをしたことが、大学進学にも大きく影響したと思う。広島大学(高体)であったので、大学でもバレー部に入部した。我々22 期生のバレー部員は、人数も多くいて楽しい毎日であったと思う。広島で大会等がある時には、同級生の橋原や大石の自宅に泊めて頂いてご馳走になったのを懐かしく思い出す。
 伊藤も大学で4 年間一緒にバレーをした同級生である。彼は現在大阪で高校の教員をしながら、バレーの国際審判員として活躍しているようである。オリンピックの決勝戦の主審を任される程にまで頑張っている。伊藤と二宮と私の3 人は、大学のバレー部では身長が一番低かったので、「ちびっ子3 人トリオ」と呼ばれていた。3 人とも試合にはあまり出場出来ず、ピンチサーバー、レシーバー役であったが、3 人でよく誰かの下宿に集まり、大学卒業後の夢について夜遅くまで語り合ったものである。
 今、私は地元の中学校の教員として、保健体育の授業や女子バレー部の指導等でバレーを続けている。バレーボールで私が得たものは、『健全なる心身と素敵な仲間』であると思う。特に、対人パスやレシーブを一緒にした相手は今も懐かしく思い出される。これからも、健康の保持と新たな出会いを求めて、また、孫と一緒にパスが出来ることを夢見て、私の大好きなバレーボールを続けていこうと思う。
 ここ数年、毎年3 月末に西村先生が池内の勤務する高松大学にお出になってくださっています。支部の皆に声を掛け合って、先生を囲んで大学時代の懐かしい思い出を語り合ったり、お互いに現在の近況報告をし合ったりする等、楽しい一時を過ごしています。 来年もお待ちしています。現役のバレー部の皆様の活躍を期待しています。

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