大学を卒業後、暫くの間バレーボールから離れていた私が、再びその魅力に引きつけられていったのは、結婚がきっかけでした。
【それいけ 小学校編】
当時、妻は勤務先である小学校の男子バレーボールチームのマネージャーを務め、陰ながら子どもたちを支えていました。そして、毎日の練習はもちろん、週末毎にやれ中区だ、東区だ、遠征だと忙しく動き回るので、いったいチームはどんな様子なのかを聞くと、妻が言うには県内でもかなり上位の力を持っているらしいのです。とは言え、小学生にどの程度バレーができるのか興味がわいてきたので、試合会場に足を運んでみました。そこで見た躍動する子どもたちの姿には心底びっくりしました。驚くほど上手いのです。きちんとバレーボールになっているのです。しかも隙あらば速効まで仕掛けるし、ブロックも強烈なのです。他のチームを全く問題にせず県の予選を勝ち上がり、圧倒的な力で全国大会への切符を勝ち取りました。
当時は「ライオンカップ」と呼ばれていたと思いますが、東京で開催される全国大会があることを知り、この子たちなら上位進出が期待できるのではないかと、いつの間にか内心楽しみにするようになっていました。そして幸運なことに、当時長男がまだ小さいということで、子守役という任を受けてチームに帯同することになったのです。ここにきて俄然チーム愛が芽生えてきました。
予想通り彼らの力は全国から集まった強豪と比べても全く引けをとらず、それどころか予選リーグでは相手を全く寄せ付けず突破し、決勝トーナメントへと駒を進めました。対戦したチームの保護者から「どうしたらこんなに上手くなれるのですか。」と半ばあきれたように尋ねられるほどでした。決勝トーナメントにおいても彼らの勢いを止めるチームは見当たらず、準々決勝で176cmの大型選手を擁する群馬代表を、準決勝ではコンビバレーを駆使する福岡代表を撃破し、破竹の勢いで決勝に進みました。相手は開催地の意地を見せたい地元東京代表でしたが、会場を圧する大声援をもってしても彼らを止めることはできず、一気に全国の頂点に駆け上がりました。まさか日本一の偉業に携わること(たとえ子守役であったとしても)があるなどとは夢にも思っていませんでしたので、心から感動しました。そして、狙って日本一を獲得した彼らの精神力の強さには心底驚かされました。表彰式にプレゼンターとして登場した元日本代表の大竹選手の大きさに喫驚しながらも、日本一の実感が(私にまでも)こみ上げてきました。
【燃えろ 中学校編】
この子たちが揃って中学へ進学すれば小・中連覇も夢ではないな、などと勝手に期待を膨らませていましたが、現実はそう甘いものではありません。2つの中学校にそれぞれが進学することになったのです。ああ、これで夢は終わったな、残念だな、と思ったのですが、バレーの神様(いると思います)は彼らにさらなる舞台を用意していたのです。2つのチームは当時(現在でも)県内有数の強豪校に数えられており、その中においても彼らは戦力として存在感を十分に示しており、早くも、2年生時にグリーンアリーナで開催された全国中学校選手権大会にその足跡を記したのです。
そしていよいよ3年の夏、想像を遥かに超える出来事が起こったのです。圧倒的な戦力を持った彼らは、市大会、県大会、そして全国切符をかけた中国大会と、三度決勝で激突することになりました。山口県の維新記念体育館で行われた決勝戦は大変に白熱し、両チームが持てる力を出し切った素晴らしい試合でした。これほどの高い技術と精神力があれば全中でも上位進出できるに違いないと期待せずにはいられないほどでした。
そして奈良の地を舞台として全国中学校選手権大会が開幕。広島に残る私は、朝刊に掲載される両チームの結果を毎朝心待ちにしていました。予選リーグ、決勝トーナメントと順調に勝ち上がり、広島勢同士で決勝を争うという快挙を達成していたのです。彼らはバレーの神様(やっぱりいました)が与えた舞台で、最高の結果を残したのです。近年、東京代表同士の決勝戦を見かけることはありますが、地方の代表、それも小学校の同級生での決勝となると、これまでに例はなく、これからもそうは見られないのではないかと思えるほどの偉業でした。「くそう、なぜ俺はこんなところにいるんだ、どうして奈良まで応援に行かなかったんだ。」と、瞬時に痛恨の思いが頭をよぎりましたが、仕事があったので仕方のないことでした。
【ありがとう 高校編】
小・中と各世代を制した彼らもついに高校生。今回も進学先は2つに分かれました。しかもミックスシェアーして。一方は、安芸の國に在り、最強の名を欲しいままにしてきた古豪です。全国大会の常連にして、幾多の全国制覇を飾り、バレー王国広島の礎を築いたチームです。もう一方は、備後の國に起ち、近年めざましく力を付け、強豪の仲間入りを果たしたチームです。ここ数年、安芸と備後は悉く決勝で顔を合わせ、しのぎを削る好敵手という関係にあります。再び、私の体育館・アリーナ行脚が始まりました。すると、驚いたことに2
年次の全国大会がまたしてもグリーンアリーナで開催されたのです。地元であり、夏休みとも重なっていたので、開会式から閉会式までの5日間、歴史的瞬間を見逃すまいとグリーンアリーナに通い詰めました。
先陣を切って登場したのは、地元開催枠で出場の安芸の國(大相撲みたいですみません)でした。予選リーグで青森代表に不覚を取ったものの、落ち着いて敗者復活を勝ち上がり、決勝トーナメントに駒を進めました。
そして、満を持しての登場が、堂々の広島1位代表校、備後の國です。シード権を与えられ決勝トーナメントからの出場です。対戦相手はここ数年全国トップクラスの実力を誇る長野代表です。ここを突破すれば勢いに乗るんだが…と、コートを見つめていると、力強い味方が現れました。母校の大応援団です。しかも、広いアリーナの3分の1を埋め尽くすかと思われるような全校応援です。あの、JTサンダーズの応援団を凌ぐほどの大声援です。私は嘗てバレーボールで、これほどの大声援を受けたこともなければ(当然です)、見たこともありません。大会の興奮はここに最高潮を迎えました。しかし、その一方でかすかな不安が頭をもたげました。そして、取り越し苦労だろうと思われたその不安が現実となり、広島第1代表は長野代表に苦杯を喫したのです。敗因は皮肉にも大応援団にあったと言っても過言ではないでしょう。大声援は彼らに勇気を与えると同時にこれまでにない緊張を強いたのです。6人の足が全く動かないのです。考えられない様なミスを繰り返すのです。何とか気力を振り絞って声を掛け合うものの、大声援にかき消されているかの様です。熱戦の末、広島第1代表は、アリーナを埋め尽くした大応援団と共にコートを去ることになったのです。選手たちはタオルで顔を覆っています。大応援団も泣いているかの様です。あれほどの大群が一言も発せず、無言でアリーナを去っていくのです。勝負の難しさ、現実の厳しさを痛いほど思い知らされました。
一方、安芸の國はトーナメント初戦を危なげなく勝ち、熊本代表との2回戦に臨みました。この熊本代表は近年全国に名を轟かせ、全国制覇はもちろん、日本代表も輩出するほどの強豪です。予想通り大接戦になりましたが最終セットは防戦一方です。もはやここまでかと思われたそのときに奇跡が起こりました。土壇場での5連続サービスエース(記憶は美化されているかもしれません)で劇的な逆転勝利を収めたのです。チームの勢いは最高潮、次戦も軽く一蹴と意気上がり、迎えた3回戦の相手、福井代表に彼がいました。コートからかなり距離のある、グリーンアリーナの観客席から見ても、彼の存在感は際立っていました。磨き上げられたコンビネーションを駆使して繰り出す安芸の國の攻撃を、その左腕で一撃してしまうほどの威力がありました。そして、とどめのバックアタックが決まった時、広島県のチャレンジは終わりました。それは、この男を止められるチームを無いだろう、大会の行方はもはや決したと思われるほどの破壊力でした。
しかし、優勝に輝いたのは福井ではなく、京都代表でした。その京都にも、逸材がいました。準々決勝で激突した福井と京都の一戦は高校レベルを遥かに超越した両選手の手に汗握る打ち合いになりました。最終セット、瀬戸際まで追い込まれた福井の放った渾身の一撃が、遂にブロックされ熱戦の幕は下りました。自分のスパイクが止められた瞬間コートにうずくまり、両軍整列になっても立ち上がることのできなかった高校生の姿を初めて目の当たりにし、彼はいずれ日本を背負って起つ選手になるだろうという確信に近い予感を抱きました。福井を倒した京都は順当に決勝に進出、対戦相手は初戦で備後の國を破った長野代表です(もし、備後が勝っていれば…)。その公式練習の第一打、平行トスを超高角度で叩き込んだ彼の一打で試合の流れは決まりました。これまでの選手にない打点の高さ(圧倒的な跳躍力)、その切れ味の鋭さに会場は静まりかえりました。その一打で彼は会場中の目を釘付けにしたのです。その後、福井と京都の両雄は大学を経てV
プレミアリーグでチームメイトとなり、今や日本代表になくてはならない存在にまでなっています。
さて、その後の広島は春高・インターハイ共にベスト8に終わり、小・中・高の3世代における全国制覇は幻に終わったかに思えました。しかし、バレーの神様は最後の最後、彼らに最高のプレゼントをくださいました。小学校以来6年振りに一つのチームに戻って戦い、岡山国体で見事に全国制覇を成し遂げたのです。全中の時と同じように私は新聞でこの快挙を知りました。写真の中の彼らは、優勝を決めて一斉に跳び上がり、喜びを爆発させていました。広島代表の真っ赤なユニフォームがとても眩しく見えました。
高校を卒業後、彼らはそれぞれの道へ進むことになりました。関東・関西の有力大学へ進学する者、中国地方の強豪校へ進む者、海外留学する者、と自分の夢を求め全国各地に散っていきました。それ以来、私自身はこれまでの様に、バレーボールを身近に感じることは無くなりました。それでも、機会を見つけてはアリーナへ通っています。10年に渡り、彼らの見せてくれた壮大な夢が、今でも私の心を揺り動かし、バレーボールへと呼び寄せるかの様に。 |