コートの仲間第22号 支部ニュース


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<岡山県支部だより>(2)
36期 石原 律子(岡山県立岡山操山高等学校勤務)
 今回このような機会をいただくことになったのも、この秋の新人戦で私の指導している生徒たちが「強豪校の2 年生を抑えて1 年生が金星」というような写真入りの記事で地元紙に掲載され、その後の中国大会で上位に入り、三月に行われる全国選抜大会の出場権を獲得したからと思いますが、残念ながらバレーボールの話ではありません。
 そもそも私自身、福山での最後の卒業生ですが、「体育教育学専修」のいわゆる「教体」ではなく、「家政教育学専修」の「教家」生です。
 アタックNo.1 やサインはVを観て育ち、小学校時代に少年団活動でバレーを始め、中学時代もバレー部に所属していたものの補欠止まり。高校時代は帰宅部で早く帰ってはドラマを観る毎日。大学入学後の健康診断で血圧の上が70・下が30 という結果にヤバイ!!何か始めなくては!!!とにかく運動部に入ろう!!!と物色していた時に、少しでも馴染みのあるスポーツが良いかな…と気がつけばバレー部に入っていました。2年から福山へ行くのは知っていましたので、一年間しか活動は出来ないだろうけど、せめてその一年間だけでも精一杯身体を動かして少しでも健康になりたい!と再開したバレーボール、当時の私に福山分校チームがあっただなんて、知るよしもありませんでした…。
 本部の先輩方の参加される大会に帯同するうちに、福山では「教体」のチームが存在し、中国リーグではトップであること、そしてその福山チームの女子の存続が人数的にとても厳しい状態にあることが少しずつわかってきました。だからといって福山へ行ってバレーを続けようという気持ちになれるわけもなく(あまりにもレベルが違いすぎ、邪魔にしかなりません…)、とにかくこの一年を可能な範囲で頑張ろうというだけでした。
 そんな私が福山でバレーを続けることを決心したのは、一つ上で同じく教家の「カヨさん」が福山で頑張っていらっしゃったこと、そして福山での授業をしばらく受けて、教室もメンバーも全く変わらずキャンパスライフとはほど遠い「分校生活」をこれから三年間送ることは到底無理!という気持ちが芽生え始めていた頃に、カヨさんに連れられて西村先生と「トン平焼き」を食べに行ったからということ以外に理由はありません!!(笑)
 先輩方の叱責を受けないように…とひたすら動こうとし続けているうちにいつしか体力がつき、フクさんを筆頭にミキ、ナエ、サヨ、アキの4 人の後輩らと組んだ新チームで臨んだ中国リーグで何とか優勝することが出来、ホッとしたのを覚えています。とにかく私がミスをしなくて良いように、どこへローテーションした時でもフクさんとアキがサーブカットの中心となり、ボールを落とさぬようしっかり繋いでフクさんが決めるという、西村先生の作戦のおかげです。6 人しかいないメンバーそれぞれの長所をとことん引き伸ばしてくださり、中四国大会で2 位、西日本インカレでも中国リーグ一位としての結果はそこそこ残せたのではないでしょうか。大学時代を振り返っても一番印象に残っているのはバレーボールのことであるのは言うまでもなく、そして子どもキャンプ教室をはじめ西研での多くの活動は間違いなく私が教員として活動をしていく上でとても貴重なベースとなってくれています。西村先生と出会わなければ今の私の生活は恐らく無かったでしょう。どれだけ感謝しても感謝しきれません。西村先生そして辛抱強く御指導くださいました諸先輩方、本当にありがとうございました。
 私が参加する最後の大会帰りだったと思いますが、先生にこの先バレーはどうするのかと問われ「もう十分です!」と答える私に、「どんな形でも良いから何かやりなさい。それこそがこれから目指すべく生涯スポーツのあるべき形ですよ。」とおっしゃった先生の言葉が頭のどこかに残り続け…。
 新採用で赴任した県北の高校ではバレー部の顧問として生徒と一緒にボールを追い、2校目で勤務したのが現在の学校で、33 期の難波先生と38期の東先生が顧問についてらっしゃいましたので、第4 顧問にしていただき、手が空いた時にふらりと行ってはサーブを打つ程度の活動したが、バレーにかかわり続けました。三校目で勤務した学校は一学年3 クラスしかない工業高校でバレー部は休部中、「何でも良いから運動部の顧問がしたい!」そこからボートとのつきあいが始まりました。観ているだけじゃつまらない。夏休みのある日、生徒にダブルスカル(二人漕ぎ)に乗せてもらい、そのうちシングルスカル(一人漕ぎ)にも乗れるようになりました。その学校を離れなければならなくなった時、少しでもボートにかかわり続けたいと審判の資格を取り大きな大会の審判をさせていただいたり、せっかくそこそこ漕げるようになったのだからと全日本社会人選手権や全日本マスターズにも参加してメダルをいただいたり、今やドップリとボート漬けの日々です。
 マイナー競技ですので専門の指導者もさほどおられず、岡山国体をきっかけに再度現任校に赴任することとなり、それから早くも7 年が経ちました。
 現在の現役部員は1 年生男子の2 名のみで、細々とした活動を行っています。二人ともとても素直で、進学校での勉強との両立に時に溺れそうになりながらも、少ない練習時間をハードにこなしています。そこで冒頭に書かせていただいたようなことになったのですが、マイナーだからこその魅力とも言えるでしょう。これまでにもインターハイや選抜大会はもちろんのこと、国体へも監督として何度か参加させていただきました。選手らは元Japan のヘッドコーチに定期的に指導を受けることが可能です。(県の協会が年間数回の講習会を企画してくださっています。)
 研修会等様々な会に参加しているうちに、オリンピック選手とも顔馴染みになり、声を掛けていただけるようになりました。マイナーなスポーツですが、それだからこその楽しみもたくさんありますし、ちょっと頑張れば全国大会へはとても近いスポーツです。
 数年前までは生徒と一緒に漕ぎ、一年生には負けるもんかとトレーニングに励んでおりましたが、最近全国でもそこそこ戦えるような選手が入部してくるようになってからは、自分が漕いでいたのでは選手に追いつかず、土手を自転車で伴走する日々となり、私自身の身体はますます重くなって動きづらくなってはおりますが…。
 今回全国の切符は掴んだとはいうものの、最下位争いであることには間違いありません。ただ、体力的にもまだまだこれからの二人ですので、この冬どれだけパワーを付けられるか?にかかっていそうです。彼らの目標とする八位入賞を目指して、どこまで近づけさせてやることができるのか…?アメとムチを使い分けながら、この先どこへ連れて行ってもらえるんだろう?そんなことを考えながら取り組んでいる毎日です。
 バレーボールからはすっかり遠ざかってしまっておりますが、西村先生に教わった「生涯スポーツ」に自分なりのやり方でかかわり続けているつもりです。
 先輩方、相変わらずですがマイペースでボチボチやっております…。後輩の皆さん方、チャンスあればいろんなスポーツにチャレンジされてみてはいかがでしょうか?

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