2015年、新年を迎えた男子バレー部は春からの飛躍に向け、新しいトレーニングなど、これまでにないハードな練習を積み重ねた。平成23年度入学生の奥野、軍神が引退し、縁の下の力持ちとしてチームに尽力してきた大きな存在がいなくなってしまった。そんな中でも、平成24年度入学生の、森井、檜山、中田、福島が中心となってチームをまとめ、選手・スタッフ一丸となって日々の練習に打ち込んだ。広島県内の高校との練習試合、四国遠征、大阪遠征など、精力的に練習に取り組んだ。様々な壁にぶつかりながらも、その度にチームは変化し、徐々に自分たちの形を見つけだしていった。
春を迎え、新入生の遠藤(涼)、和田、前潟、岩東、内橋、マネージャーの橋本がチームに加入し春リーグを迎えた。春リーグでは、レフト池田・秦、センター檜山・金尾、ライト遠藤(靖)、セッター森井、リベロ尾嵜を置いた。昨年とほぼ変わらないメンバーであるものの、ポジションを変えたことで得点力の高いチーム構成となった。初戦の島根大学戦では、遠藤(靖)の安定したサーブレシーブから得点を重ね、3−0で勝利することができた。東亜大学戦でも、遠藤(靖)の粘り強いレシーブから秦、池田を中心に得点を重ね、相手を3セットともに追い詰めるも、一歩及ばず0−3で敗戦した。広島国際大学戦は秦、金尾、森井に代わり、森口、福島、遠藤(涼)がコートに立った。能力の高い相手に対して、尾嵜のレシーブで応戦するが、終始苦しい展開でなす術なく0−3で敗戦。未熟さを突き付けられる形となった。福山平成大学戦では、相手の高いブロックに苦しんだ。池田へのオープントスに活路を見出すも、0−3で敗れた。川崎医療福祉大学戦では、焦りからかミスが目立つ展開となったが、檜山の攻撃が通り3−0で勝利した。2週目の島根大学戦では、森井のトスが冴え、最高の滑り出しで1セット目を奪う。しかし、徐々にコンビミスが目立ち始め、相手の粘り強いレシーブ、レフトからのストレート攻撃を止めることができず、フルセットの激闘の末、敗れた。続く東亜大学戦では相手の対策により攻撃を封じられ、0−3で敗戦した。そして迎えた最終週は池田の怪我により、スタメンに岩東が抜擢される。絶対に負けられない広島国際大学戦では、エース秦にボールを集め、前から後ろから次々と得点を重ねる。岩東、遠藤(涼)のフレッシュさも加わり接戦に持ち込むもフルセットで敗戦した。福山平成大学戦では、森井に代わり、遠藤(涼)がスタメンに抜擢される。0−3で敗戦したものの、遠藤兄弟ラインなど少しずつ良い形が見られるようになり、チームに光が見えだした。最終戦の川崎医療福祉大学戦では、持てる力を十分に発揮し、3−0で勝利した。和泉監督の求める尾嵜中心のチームが少しずつ形となってきた。結果的に、なんとか入替戦は回避したものの、広島国際大学戦の敗戦が尾を引き、3勝7敗で4位と悔しさの残る春リーグとなった。秦が最多得点の個人賞を受賞した。
2週間後の中四国選手権大会に向けて、攻撃力重視のチーム作りが行われた。スタメンには、レフト秦、岩東、センター檜山、森口、ライト池田、セッター遠藤(涼)、リベロ尾嵜が起用された。迎えた中四国大会では、予選リーグで岡山理科大学と戦い、終始相手を圧倒して、2−0で勝利することができた。翌日の決勝トーナメントでは、初戦の2回戦に高知工科大学と対戦した。序盤、大きくリードを許すも、途中出場の森井のブロックなどの活躍により、息を吹き返した。だが、要所で池田がブロックにつかまり、1−3で敗戦した。守備的チーム構成の必要性を迫られる形となった。
4年生の幹部として最後の大会となる西日本選手権大会では、予選グループ戦で関西学連の追手門学院大学と対戦した。広大らしいバレーを展開し、2−0で勝利した。翌日のトーナメント1回戦では松山大学と対戦した。速いトス回しでゲームの主導権を握る相手に対し、尾嵜を中心とした守備から、秦がコンスタントに得点を重ねるも、相手の速い攻撃に対応できず劣勢となる。ピンチサーバーとして出場した大須賀のサーブで一矢報いるも、終始圧倒され、0−3のストレートで敗戦した。チームは大きく崩れ、チームの立て直しが急務となった。そしてこれ以降、幹部は平成25年度入学生の尾嵜、秦、池田、金尾、山崎、村井、入船の7人に交代した。
新幹部のもと「思いやりのあるチーム」を目指して、天皇杯広島県予選へ向けて練習に取り組んだ。レフトに秦、岩東、センターに檜山、金尾、ライトに遠藤(靖)、セッターに遠藤(涼)を置き迎えた県予選では、1回戦で力のあるクラブチーム鬼一家と、準決勝で広島の名門である崇徳高校と対戦した。秦、檜山を中心としたコンビバレーで、ともにフルセットで勝利することができた。決勝戦の神辺旭高校戦では、連戦のフルセットの疲れにより、自分たちで得点することが難しくなっていた。攻撃陣を自由に操る相手セッターにも翻弄され、ストレートで敗戦した。優勝は逃したものの、チームは復調傾向にあり、下半期に繋がる大会となった。また、前主将である森井が進路に専念するということで、上半期をもって引退した。
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