私は岡山市立西大寺中学校に勤めている。もちろん部活動も持っているが、趣味?(という範疇を越えている気もする)で9人制クラブバレーの「岡山クラブ」に所属している。私が大学を卒業する直前、岡山の山陽短大監督の中川先生に、「一緒にバレーやらない?」と誘われたのがきっかけだ。当初は、やや年配(といっても30歳後半)のメンバーの中に20代の私一人が入っている状態であった。前衛のレフトなので、その打数ときたらすさまじく、スパイクマシーンのようだった。自分がつないだら、返ってきたボールはまた自分が打たないといけないので、決めるのに必死。しかしながら、県内では1位になれず、全国大会には行けないチームであった。
それから2〜3年経ち、就実高校の先輩・後輩、大学の同期・後輩(46期・小山妙子、50期・藤原由紀子、51期・廣中裕美)など若手がどんどん入部、いつしか全国大会に出場できるチームになってしまった。初めは全国大会も「参加に意義あり」という感じであったが、年々ぽろぽろと勝ち始めると本気で勝ちたくなり、県外遠征や実業団に合宿に行くなど、もっと強くなりたいと思うようになった。
クラブチームにとって一番大きな大会は、毎年8月に行われる「全日本クラブカップ」だ。今年、私たちのチームは、クラブカップ二連覇を目標にしていた。6年前がベスト8、4年前が岡山選抜として優勝、1年前に単独岡山クラブとして優勝という戦績。二年連続で今年は絶対優勝したいという思いが選手・スタッフ共にあった。しかし今年の暑さは開催地の滋賀県も同様で、半分暑さとの戦いだった。
試合は、広大OGトリオ、小山・藤原・廣中のバック陣が安定したレシーブをすれば、前衛6人中4人が170pを越えるという大型攻撃陣が頑張り、(私は小型攻撃部隊だが)順調に勝ち上がった。準決勝は、東京女子体育大学。大学生は元気がいい!10歳以上若い子を相手に奮闘し、決勝までは失セットゼロで上がった。
決勝は2年後に国体を控え、強化を図る大分県代表「佐伯長陽会I・O」だ。大分県の東龍谷高校の卒業生が多く、なにしろ若い・・・。22、23歳の選手もおり、31歳2人、32歳2人を擁する我がクラブとは平均年齢がかなり違う。最終日、決勝が3試合目となる私たちは「大丈夫なのか・・・?(体力)」と心配になった。公式練習、長陽会のコンビを見た。・・・はや〜い!!うちが苦手とするコンビバレーのチームだ。とにかく、うちのチームはサーブカットを崩さないこと、そしてブロックにしつこく付くことが、勝ちを呼ぶ。その確認をして試合に臨んだ。
1セット目は攻守ががっちり噛み合い、取ることができたが、2セット目はエースが疲れてしまい(私です)、競って取り返されてしまった。しかし、ここからが勝負どころ。昨年は準々決勝から決勝までオールフルセットで勝ってきたのだ。フルセットでは絶対負けない!競ったら勝つ!という強い信念で挑み、3セット目、10点台後半にリードされつつ、全員バレーで逆転して勝つことができた。この優勝は過去二回の優勝とはまた違う格別の思いであり、みんな涙し、共に感動を味わうことができた。
時々、「こんな歳になって、なぜまたこんなに一生懸命バレーをしているんだ?」と自分で思うことがある。クラブなのでもちろん遠征費も自分持ちが多いし、みんなバレーが好きで集まっているとはいえ、それぞれ仕事もあり、子持ちで家庭がある人もいる。正直、仕事を終え(無理矢理終わらせて?)八時から十時前までの練習がきついと感じることもあるし、GWをはじめ、連休に合宿に行くこともやはり大変だ。それでも集まって、練習し、勝ちたいと思っている・・・不思議だ。もういいやというくらいバレーばかりしてきたのに、まだバレーをしているとは。
今年でバレーを始めて21年になった。結局ここまで続けられているのは、バレーそのものが好きだということもあるが、何よりまわりの人に恵まれていたからだと心から思う。
中学・高校と練習は厳しさの極みだったが、これもまわりの人に助けられてやってこれた。大学時代も良き先生方、良き先輩後輩がおり、そして今もなお付き合いのある06の仲間がいた。大学にいたっては楽しい思い出しかない。最高のバレー部だった。だからまたバレーをすると、楽しいことがあるんじゃないかと思い、続けている気がする。社会人になって同期の小山とまたバレーができ、後輩の藤原・廣中とも一緒にできるということは、人とのつながりを感じると同時に、とても幸せなことだとつくづく思う。そして喜びを共有できるスタッフやメンバーがいてありがたいことだと感じている。今しかできない経験を指導や学級経営に役立て、きっと中学生にも還元できると私は思っている。
教員として、指導力を磨くと共に常にいきいきしているということは、とても大切だと思う。その活力を、バレーや仲間たちからもらっている気がする。いつまで続けるか…それは考えず、できるところまでずっと続けていきたいと思っている。 |