広島大学を卒業して34 年、4 校の中学校を歴任し、部活動の顧問を振り返ってみますと、バレーボール部・ダンス部・水泳部を色々な経緯で持たせてもらいました。
思い出に残っているエピソードの一つを紹介します。十数年前のことです。当時はバレーボール部の顧問でした。運動能力の高い生徒が多くいたこともあって、夏の井原支部の大会で優勝することが出来、県北の津山市で岡山県大会が夏休みのある日に開催されました。女子チームでしたが、前日から泊りがけで試合に臨みました。善戦むなしく初日に敗退してしまいました。十数人の生徒を2
人の教員で引率していたのですが、数名の生徒から「私たちの青春は、今です。もう1 日泊まらせてください。」と申し出がありました。当時私としては、負けたからにはすぐに帰るものだと思っていましたので、そのことを伝えるとなかなか聞き入れてもらえません。そうしていると、もう1人の顧問の、男性の教員が「私が残りましょう」とおっしゃってくださり、お願いすることにしました。その日のうちに帰りたいという2
名の生徒と共に津山線で岡山駅まで帰りましたが、この2 人の生徒もこのまますぐに山陽本線には乗りたくないということで、1 列車遅らせて、駅の一番街で生徒はウインドウショッピングをユニフォーム姿のまま楽しみました。残った女子生徒達は、勝ち残った男子チームの応援に行き、帰りは、男子チームの保護者の用意したバスで無事帰校したそうです。今では、宿泊を伴う県大会は考えられませんが、懐かしい思い出です。 |