コートの仲間第19号 OBからの一言


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近況報告(2年間の感謝を込めて)
41期 重冨 知巳
 旧姓市川と申します。出身も卒業後の勤務も共に山口市です。平成5 年に広大を卒業しましましたが、当時はバブル経済と教職員採用人数の低下等もあり、教育学部生が教職員にならずに民間企業に就職する傾向が強くなりつつあった時期です。私は就職しながら採用試験を受験していく予定でしたが、運営は決して楽なものではないながら、クラブチームの一員としてバレーを存分に続けることが出来る環境に甘え、教員を諦めて団体職員として準公務員的な業務に携わっております。その間のバレーボールは、実業団及び学生には及ばないまでも現役として9 人制バレーに打ち込み、クラブチームの全国大会での上位入賞を目指しながら、時には10 歳以上違う広島大学の後輩(大学院生等)との対決を楽しませて頂きました。
 中国大会、全国大会では、各地で審判や大会スタッフとして、学生時代の直属の先輩や後輩にお会いする機会にも恵まれ嬉しくもあり、上手くもないプレーを見られることが恥ずかしくもありました。
 30 歳からは、嫁の所属する家庭婦人(ママさん)バレー、35 歳からは娘のスポーツ少年団に、選手の傍らコーチ業を掛け持ちするようになり、そして、2 年前の36 歳のこと、2011 年山口国体の成年女子6 人制の優勝とVリーグを目指して設立されたチーム、「きらら山口ファイティングスターズ」のコーチを引き受けることになってしまいました。(結論から言えば今年で退任しましたが…)
 山口県と言えば女子6人制の誠英高校が全国的にも有名ですが、一般に関しては、VリーグはもちろんV1 リーグに所属するチームもないのが現状です。06 年の設立にあたっては全く関与していなかったため、県内ニュースで取り上げられた際も「優勝は無理でしょう」とまさに他人事。その後、コーチ就任のお話を頂き、かたくなに拒んではいたのですが、監督が身近な人であったため、早々にクビになることを想定して渋々引き受けたのが正直なところです。
 やるからにはと腹をくくった07 年3 月の初顔合わせから、大学卒業後離れていた6 人制と経験のない一般女子バレーに戸惑い悩みながらも、現役を捨て1年目の週2 回の練習、今年からは週3 回の練習に選手とともに励みました。国体のために設立されたチームであり、サポーターの会費やスポンサーからの支援がありますが、遠征費や活動費の自己負担も多々あります。選手に関しては、三田尻(現誠英)高校時代に3 冠を達成した選手から高校時代に一度も試合に出たことがない選手まで様々で、最も多い時でも12 人、仕事のため練習に全員が集まることはほとんどない状況でした。(チーム詳細はHPを参照下さい)恵まれた環境とは言い難い状況で参加出来る大会も数少ないため、広島大学には何度も練習試合をお願いしました。1年目は完敗続きで得セットゼロ、今年は選手を若干補強したにもかかわらず1セットを取るのがやっとでした。
 そのような縁もあってか、今年の国体中国ブロック予選会において、広島県と山口県代表として準決勝で対戦することとなりました。(審判は40 期の井上先輩でした)大分国体とケガ人で苦しい状況で挑んだ広島大学に対し、地元開催とふるさと選手2 名の加入で絶対負けられない状況でした。結果は、5セット目の15 対13 までもつれ山口県が勝利しました。広島戦との接戦の後に行われた決勝はシーガルズ(岡山県)に完敗でした。Vリーグのトップチームの実力、6 人制で国体に挑むことの大変さを思い知らされ、また、選手のケガの悪化等の代償も大きかったのですが、広大との対戦で選手も私も2 年間(選手は3 年間)の頑張りがひとまずは報われた気がしております。
 あまり報告が長くなるのも迷惑だと思います。最後になりますが、練習試合を引き受けて頂いた橋原先生をはじめ広島大学女子バレー部の皆様に深く感謝致します。諸事情により今年でチームを離れることになりますが、今後も「きらら山口ファイティングスターズ」との交流をお願いするとともに、バレー部男女とも益々のご活躍を期待致します。

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