コートの仲間第21号 OBからの一言


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出会いに感謝
53期 木内 誠二
 私は現在,鹿児島市にある錦江湾高校で数学科職員として教壇に立っていますが,部活動での男子バレーボール部の指導と,広島での学生時から始めたバレーボールの審判員も継続しています。ここでは、そのバレーボールの審判について、数少ない経験談ではありますがお伝えしたいと思います。
 私がバレーボールの審判員を始めたきっかけは,高校生のときに患った病気にあります。プレーヤーとしての活動から,運動することさえ制限されるようになった生活の中に活力を与えてくださったのが,当時母校でバレーボール部の指導をしてくださっていた顧問の先生です。先生ご自身も、以前は審判員として活躍されていた経緯もあり、審判員としての所作、心構えを教えていただきました。
 鹿児島から広島大学に進学後もバレーボール部でマネージャー業をする傍ら,本格的に審判員として活動させていただきました。広島での4年間、バレーボールを通して多くの出会いや経験がありました。毎週日曜日は9人制リーグの審判をしに,始発の電車で西条から広島市内に向かい、試合後は食事をしながら審判談義。終電に乗り遅れることもしばしば。その時は審判の先生方の家に泊めて頂いて,月曜日の始発で西条に帰り1コマの授業…という4年間を送らせてもらいました。広大バレー部の先輩である富田博一先生や横山寿一先生と出会い、審判のことはもちろん、試合の度に家に泊めて頂いたり、家族みんなで梨狩りや蛍を見に行ったりと、バレー以外のつき合いも多くさせていただきました。広島県の先生方にはとても感謝していて、現在私が審判員として活動できる心の原動力になっています。
 昨年の3月には、鹿児島で行われたVプレミアリーグ・レギュラーラウンド最終戦において、副審を務めさせていただきました。とても緊張する中にもワクワクする期待感も入り交じっていて、試合が無事終わった後、安堵の気持ちと改めて審判員の難しさを実感しました。プロ、大学生、高校生等、どのカテゴリー、どのレベルにおいても、常にどれだけ審判員としての高い意識を持っているかで、その試合の展望も変わってくるのではないか、そのように感じた経験でした。そして、その試合で主審をされたのは広大バレー部の先輩である田野昭彦先生であったことも、「縁」というものを感じさせてくれるものでした。 また、毎年インカレやインターハイにも参加させていただいており、同じく広大バレー部の先輩である伊藤博之先生や田野敏彦先生にもお会いすることができます。試合の審判を行うとともに,各地の先生方と親交を持たせてもらい、そこから部活動の合宿をさせてもらうなど、「繋がり」というものをとても感じるようになりました。前述したように,現在私がバレーボールの審判員をさせていただくことで、全国にいる同じ志を持った方々との出会いがあり、多くのことを学ばせていただいています。このことは審判員としてだけではなく、一人の人間としても大きな財産となっています。
 今後は、鹿児島県の「これからもバレーボールを頑張っていこう」「これからバレーボールを始めてみようかな」「審判やってみたいな」と夢見る子どもたちを後押しできないか、一人の教員・審判員として頑張りたいと思っています。鹿児島で育った子どもたちが指導者や審判員として、バレーボールを通して教育に携わっていくような、バレーボールを愛する人たちの拡大に繋ぐことができないだろうかと色々な想いを巡らせています。「バレーボールを始めた鹿児島と育ててもらった広島」に恩返しをしたいという想いです。審判員としても、鹿児島で頑張ることはもちろん、広島での大会において、お世話になった方々とともにジャッジをしたいとの目標を持ち、精進していきたいと思います。
 これまでたくさんの支えがあり、出会いや経験をさせていただいたことを心から感謝しています。これからも鹿児島・広島のバレーボール界が熱く盛り上がっていきますようにと願ってやみません。
 現役生のみなさん、広大バレー部で過ごす日々は大きな財産となるはずです。これからもみなさんの活躍を期待しています。12月のインカレでお会いしましょう。
 最後になりましたが,今回このような機会をくださった同期の和泉さんに感謝します。「13」生のメンバーと出会い、バレーができたことが一番の思い出です。

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