コートの仲間第22号 OBからの一言


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おもいだすこと
39期 長谷川 浩二
 ポストに丸まって入っているA4サイズの封筒には、油性ペンで手書きされた大きな宛名書き。差出人を見なくても一目で「コートの仲間」と分かります。現役の皆さんにとって、OB・OG の数は毎年増え続けるのに、ワープロ打ちした宛名シールを使えば断然速く簡単にできるのに、封筒一枚一枚に手書きで宛名を書く。とても大変な作業でしょうが、とても大切な作業です。
 昭和63年の冬、福山分校の2 年生。西村先生の研究室で当時のバレーボール部同窓会誌「勝栗」とOB・OG に出す年賀状をつくっていました。前年は辰年で、担当した橋爪先輩から版画作りキットを受け継ぎ、へびが頭の上でコマを回す版画絵をつくり、一枚一枚刷り上げて完成させました。ちょうどワープロやパソコンが出回り始めた時期で簡単にはがき印刷や宛名印刷ができる時代でしたので「いちいち手書きするのはめんどくさいなぁ…。」と思いながら作業していたのを、見透かされたように西村先生から「発送する側からすれば何百通のうちの一通だけど受け取る側には唯一の一通」と教えていただき、心を入れ替えて作業したのを思い出します。その教えは私の中にとどまり、毎年400 枚程の年賀状の宛名は手書きの墨書で書くことにしています。
 前回、原稿を寄稿させていただいたのは平成16年の冬。当時、福岡県立東筑高校で女子バレーボール部の顧問を務め、教え子の高崎麻菜実を教体(教育学部第W類健康スポーツ系)に送り出し、日笠純美が1 年生で、新人戦に向けてレフトスパイカーとして頑張っていました。2 月の同窓会・強化練習会にはチームを連れて毎年参加させていただいておりました。まさかその後、バレーボールからこれほど縁遠くなるとは思ってもいませんでした。
 高校や中学校で教師になりたいと考えている後輩の皆さんは、教科指導はもとより、部活動の指導者になりたいと思っているでしょう。もちろん種目はバレーボールでしょうが、バレーボール以外の顧問になることがあるかも知れません。
 私は講師の時にラグビー部の顧問をしました。ラグビーは福山分校の学年対抗戦で、「61」の先輩たちに勝利するくらい授業で頑張っていました。陸上部エース石橋君が足を骨折し、みんなに心配されながら救急車で搬送された後の記念撮影。同じく陸上部の石田君も名誉の負傷で鼻を骨折していたのに誰からも心配されず、シャッターを押す臼井君が、鼻が横を向いている石田君に向かって「石田横向くな!正面向け!」という悲しいエピソードを思い出します。西条でも西村先生のラグビーの授業でラグビー部の織田先輩からいろんな話を聞いていたので、できるだろうと思って引き受けました。
 当時はまだ27 歳で動ける身体がありましたので、ラグビージャージにストッキング、スパイクを履いて生徒に混じり、身体をぶつけることから始めました。バレーボールのトレーニングなども取り入れ、専門書を読み、練習メニューを考えますが、その先がわかりません。そこで、体育科名簿を開き、ラグビー専門の先生がいる高校の電話番号を調べ、お願い作戦を開始します。
 「初めまして。柏陵高校の長谷川と申します。ラグビー部の顧問をしております。専門はバレーボールでして…」「是非、練習を見学させていただきたいと思いまして…」「よろしければフォワードリーダーとバックスリーダーを連れて行ってもよろしいでしょうか?」と言うとたいていの学校の先生が「全員連れてきていいですよ。一緒に練習しましょう。」「10分ハーフのゲーム形式でしましょうか?」というように言っていただけます。
 さすがに日本一の東福岡高校に電話する勇気はありませんでしたが、福岡県ベスト4 の強豪校との練習は本当に勉強になりました。おかげで夏休みに県内外から20 校近くの高校が集まって行われる筋湯温泉での6 泊7 日の合同合宿に呼んでもらえ、生徒たちはどんどんレベルアップし、私は2 食昼寝、温泉三昧の待遇にみるみる体重アップしたのを思い出します。
 現在は平成17年に異動となった福岡県立門司大翔館高校でソフトテニス部の顧問となり7 年目になります。西村研究室の早朝テニスで橋爪さん佐賀野さんに誘われても寝坊するようなダメ人間でしたが、バレー部でテニス上手の同級生、舘君に「ボールは膝の前で打つんだよ」と聞いたことは覚えていましたのでなんとなくやってみました。
 ソフトテニスの技術指導はよくわからなくても、部活動生として礼儀正しく爽やかな挨拶ができるチームになる事を目標に、集合して挨拶をすること。コート整備(草抜き)をしっかりすること。道具(ボール)を大切にすることから始めました。1 年目は女子部員9人中7 人が初心者でしたのでソフトテニスマガジンを定期購読し、指導書を買って読み、DVDを見ながら生徒とともに上達していきました。強い高校しか誘われない近県大会に出場したくて、「何かお手伝いできることがありましたらお手伝いします。」と専門委員長に挨拶し、生徒とともに大会終了後にゴミ拾いをするなど運営の手伝いをしました。2年目に初めて個人戦で県大会出場し、練習試合をしていただける高校も地区から県内全域へと広がりました。やがて運営委員となり、専門委員となりました。個人戦・団体戦ともに県大会出場常連となり、スポーツ推薦で入学してきた生徒とともに九州大会出場を果たすことができました。おかげで九州・山口から強豪校が集まる島原合宿にも誘ってもらえ、毎年夏冬2 回の遠征で多くのことを学ばせていただいています。
 福山分校の体育館でバスケ部の中野文三君に「はせちゃん、バレー以外の部活の顧問になることもあるよね」「もしバスケ部の顧問になったらね」という会話を今でも思い出します。専門であるバレーボールだったら「弱いうちは練習試合をしたくない」とか「ライバル校には練習方法を聞けない」とか私のちんけな“プライド”が邪魔をしてできないことも、専門ではないからこそ誰からでも素直に教わろう、学び取ろうという姿勢ができたと思います。おかげで、いろんな人との出会いを経験し、多くの人の支えがあって今があるということに感謝しています。専門種目にこだわらず、部活動顧問として何を伝え、子どもたちをどう育てるかが大切なことだと思います。
 「バレーボールを教えるのではなくバレーボールで何を教えるか」という西村先生の言葉が今、ソフトテニスで活きています。
 ソフトテニスの新人戦県大会が終わり、試験休みになったので、これから新人戦が始まるバレー部の練習のお手伝いを少しだけさせていただきました。あんまり嬉しそうにするとバレー部の生徒がテニス部員から怒られるそうなのでほどほどにしています。ていうか、身体がもうついていかないからぼちぼちしかできないというのが本音です。
 「先生、ご専門は?」と聞かれたら「体育科教師ですから専門はスポーツです。」というようにしています。たぶん体型を見て誰もバレーボールと信じてもらえないから・・・。

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