コートの仲間第22号 OBからの一言


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近況報告
55期 高橋 正和
 早いもので、大学を卒業して5 年の月日が経とうとしています。在学時より高校での教職の道を志していた私ですが、気付けば中学校の教壇に立っておりました。現在は、山口県防府市にあります、私立の中高一貫校・高川学園中学校に勤めて4 年目になります。赴任した最初の年は高等学校のコーチをしておりましたが、2 年目より中学校の監督をさせて頂くことになりました。
 そもそも、私が指導者を目指そうと思ったのも、広島大学教育学部に入ろうと思ったのも、ある2 人の先生とのご縁からでした。その2 人の先生、いえ、師匠とでも呼ぶべきお二人のというのは、広島城北学園の城根弘明先生と、広島の佐伯中学校を全国に導かれた工藤孝之先生です。お二人は年末に大阪で開催されます、当時の“さわやか杯(現都道府県対抗JOC 杯)”で何度も日本一に輝いておられ、憧れの人であり、目標でありました。だから私も「日本一」なることが目標です。そんなお二人には中学生の頃から大変可愛がって頂き、指導者になってからも「チームをつれてこいや」、「調子はどうか?」など、ことあるごとに声をかけていただきました。そんな師匠が一人、昨年の春にこの世を去ってしまいました。広島城北学園の城根先生が、長い闘病生活の末、お亡くなりになられたのです。城北合宿中の出来事でした。「今日は会いにこんでええ。明日こそは体育館に顔をのぞかせるけぇの」と言った先生が体育館に顔を出すことはありませんでした。その城根先生に導かれるように、この夏、高川学園中学校男子バレーボール部は全国の舞台で素晴らしい経験をすることができました。
 創部3 年目の今年、8 月20 日まで大阪府で開催された「第41 回全日本中学校バレーボール選手権大会」に私ども高川学園中学校は初めて出場することができました。実は、昨年も出場するチャンスがあったと思うのですが、何しろ1、2年生だけのチームでしたので、中国大会の第3 位代表決定戦で相手チームの3 年生にパワーで圧倒されてしまいました。そこでの涙が、そこからの1 年間を作ってくれました。チームの、そして私のスローガンは、ご存じの方は大変少ないと思いますが、56 期の上田君のTシャツに書かれていた、「今に見ていろ、僕だって」でした。工藤先生の「子供たちは保護者のためだけでなく、今年は城根さんのためにも頑張るんやぞ」の言葉は僕にとって励みでもあり、プレッシャーでもありました。チーム作りに関しては、高身長者がいませんでしたので組織力(団結力)と判断力を磨いていくしかないと心に決めていました。最初の壁は2 月に行われる中国新人大会でした。平均身長180cmを超える岡山県の金光学園と予選、決勝で戦いました。相手の大砲に機関銃で応戦する姿は、まるで陸軍(高川)対空軍(金光)を思わせる、そんな試合でした。結果、勝利することができましたが、工藤先生の「今からが大切」、「夏までの逆算を怠るな」とのアドバイスで、私の心は弛むことがなかったように思います。
 そのような時、日本は未曾有の災害に襲われました。東日本大震災です。私たちも少なからず影響を受けました。3 月に神奈川県で開催されるパナソニック旗争奪東西交流杯に参加させていただく予定でしたが、急遽、大会が中止になりました。練習場所や道具、そして仲間を失った多くのバレーボーラーがいる中、それでも、何事もなくバレーボールができる幸せを感じずにはいられませんでした。
 迎えた全国大会、初戦は初出場の緑が丘中学校(神奈川県)とでした。全国の舞台を経験したことのないエースの調子は思わしくなく、1セット目から2 点差を維持しての白熱した試合になりました。両チーム1 セットずつ取って迎えた3 セット目、相手エースにブロックを破られ4 点を追いかけての苦しい試合でした。とにかく生徒の判断力を養ってきたのだからと、2度のタイムアウトも指示は与えず、ただひたすら「城根先生見ておられますか?生徒たちは成長してますでしょうか」と体育館の天井を見上げておりました。その時、生徒の表情には「これくらい大丈夫だよ、先生」と言わんばかりの逞しさがあったと記憶しております。その後、立て続けにブロックシャット、最後は相手のミスでした。4点差をひっくり返しての逆転勝利です。大会中の生徒にはもちろん言えませんでしたが、心の中はありがとうの気持ちでいっぱいでした。
 そこから生徒たちは、初出場という「鎧」を脱ぐかのように羽ばたいてくれました。「男の子は試合の中でもドンドン成長していくもんや」と言われたのを思い出しました。大会最終日の準決勝、相手は優勝候補筆頭で、現在、全国3 連覇中の駿台学園中学校(東京都)です。最初の1 点目はサイドライン側からのブロックアウトで高川先制・・・・・・。そこまでは覚えています。しかし、そこからは曖昧な記憶しかありません。舞い上がっていたのだと思います。気付けばセットカウント0−2で敗れ、エンドラインに整列していました。何でなのかは分かりませんが、生徒も私も、そして応援団も涙が止まりません。1 年前に中国大会で流した涙と同じだったのでしょうか。自分でもよく分かりませんが、目をつぶると城根先生、工藤先生、そして多くのご支援下さった方の顔が見えてきました。「あぁ、多くの人に支えられてこのチーム、私はあるのだな」、そう感じました。だから、この感謝の気持ちと、目標を果たせなかった悔しさとで、また頑張れると思いました。来年の全国大会は、駿台学園の本拠地東京で開催されます。ぜひとも、その舞台でリベンジを果たすべく精進して参りたいと思います。
 最後になりましたが、中国大会でお世話になりました、島根県の諏訪部先生、松江高専の村上先生、山口国体でお世話になりました、岡山の室先生をはじめ、お名前を上げればきりがありませんが、広大バレー部の諸先輩方に感謝申し上げます。本当に良い経験をさせていただき、ありがとうございました。

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