コートの仲間第23号 OBからの一言


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学生のみなさんへ
35期 山口 俊光
 めずらしく早く家に帰ったある日,電話の呼び出し音。ナンバーディスプレイに,見知らぬ携帯番号。警戒しながら受話器を取ると,緊張した女性の声。「コートの仲間の原稿をお願いしたいのですが・・・。」という内容。締め切りや内容,字数などを質問したあと,「ところで何人に断られたの?」と聞くと,消え入りそうな声で「10人くらいです。」という返事。かわいそうになり,思わず「良いですよ。」と答えてしまった私。
 ということで,寄稿させていただくことになりました。バレーとは縁遠い生活をしていますので,私の学生時代から教員生活を振り返り,学生たちへのメッセージを書かせていただきます。
 私はどちらかというと(?)ぐうたら学生として諸先輩方や,同級生の間で知られていました。恥を忍んで書きますが,大学の成績はほとんど「可」でした。“バレー”や“教育実習”でさえも「可」です。卒論は58生で唯一の手書き。西研ではなく,三好研所属。当時のバレー部恒例,妙見の階段登りは学年トップの速さでしたが,「ワンマンで鍛えられたから」と言われていました。
 初任校は岡山市の大規模中学校でした。11年勤めました。野球部顧問を命じられ,県内でも有名な(監督,審判の両方で)先生のもと,部長として野球のいろはを学びました。校務では,最後の3年間に生徒指導主事を命ぜられ,学校全体のことを考える役職も経験させていただきました。私の生徒指導と野球部指導の基礎はここで培われました。またこの間,岡山県教員チームに所属し,56生の難波さんや59生の織本さんと共にバレーをしていました。
 2校目は大学の附属中学校でした。(今回の原稿と同じく,何人もが断ったあとに私に声がかかったようです。)他の学校の仕事に加えて,研究と教育実習が使命とされている学校でした。私のことをよく知る市内の先生方からは,「畑違い」と言われました。在任中の平成13年全国中学校野球選手権大会(倉敷市開催)では,県下16人の審判団に選出されるという栄誉も賜りました。大学の先生方や他の教科の先生方からも多くのことを学び,6年間がんばりました。私の授業作りの基礎はこの学校で培われました。また,パソコン嫌いだった私が,パソコンを組み立てられるようになり,ExcelやWordがそれなりに使えるようなったのは,この学校の諸先生方のおかげです。
 3校目は同じく岡山市の大規模校でした。サッカー部顧問を打診され,引き受けました。ビデオや書籍を買いあさったり,他校の先生に質問したりして,勉強しました。39歳の時から購読していた“日経PC21”という雑誌のおかげで,進路指導主事を務めた時には,Excelで多くの関数や差し込み印刷を使って,効率的に仕事を行うことができましたし,情報係のキャップ(初任校の同僚からいわく,私には「あり得ない仕事」です。)をしたときには,校内LANを構築できました。
 現任校は小規模校(生徒数179人)です。再び野球部顧問です。保体教師は私一人です。男女教習です。ご存じの通り,ダンスが必修となりました。ダンス指導歴3年目です。県の中高教員ダンス研修講座(女性だらけ)に毎年通い,新学習指導要領に基づいた創作ダンスを教えています。岡山市ダンス部会(男性は私だけ)主催の公開研究授業も受けさせていただきました。
 話が長くなり,申し訳ありません。さて,ここからが学生のみなさんへのメッセージです。私は,勤務校だけにとどまらず,野球部,サッカー部,生徒指導主事,情報係のそれぞれの仕事を通して,他校の多くの方と知り合い,その方々といろいろな話をする機会を得てきました。ぐうたら学生だった私が,これらの経験から言いたいことは以下の3つです。

 1.「幅広い経験は自分を成長させる。苦手なことでも快く引き受けよう。」
 2.「人間関係は財産となる。違う世界に身を置くことで,人間関係は広がる。」
 3.「違う環境に身を置くことで,視野が広がる。新しい環境を恐れず生きよう。」

 学生時代の私をご存じの方は,「おまえが言うな。」と思われたかもしれません。最後に,西村先生をはじめ,学生時代にご迷惑をおかけした皆様にお詫びを申し上げ,終わらせていただきます。

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