こんにちは。島根支部です。広島県のお隣の島根県ですが、島根支部の人数は少なく、寂しいなあと思っていましたが…。今年度、門脇知美さんが新たな仲間入りとなりました!次は池上萌さんです。よろしくお願いします。
さて、今回は島根支部の一番お兄さんの伊藤篤さん(28期)について紹介させていただきます。現在は出雲工業高校の教頭先生として活躍しておられます。
伊藤篤さんは広島大学体育会バレーボール部を卒業後、民間企業を経て島根県立高等学校の工業科の教員として採用され、江津工業高校→松江工業高校→出雲工業高校→松江工業高校定時制(教頭)→出雲工業高校(教頭)と赴任され現在に至ります。学校運営面での手腕の素晴らしさから教頭先生をしておられますが、その手腕はバレーボールにももちろん及んでいます。松江工業高校では春高やインターハイに出場されました。出雲工業高校でも島根県準優勝まで導き、中国大会の常連校としてチームを育ててこられました。審判でもA級として活躍され、島根県バレーボール協会の審判委員長も務められました。平成16年の島根インターハイでの審判長としての活躍もすごかった…、そしてママさんバレーの指導者としても…。最近は、学校業務の忙しさから高校バレーに対する情熱が薄くなっていることは反省してほしいところです(おっとっと)。また、山口県バレーボール協会元審判委員長の内田逸夫先生との交流は深いものがあります。
伊藤篤さんにインタビューしてみました。
Q1.広大バレー部での一番良かった思い出は?
→もう40年近く前のことになりますが、たくさんの思い出ができたことが一番ですね。どれが一番と言われても絞りきれませんね。でも今までを振り返って良かったと思えることは、やはりバレー部に所属したことでしょう。今があるのは、広大バレー部での時間、体験そして人との繋がりがあったからだと感じています。
Q2.広大バレー部での一番せつなかった思い出は?
→当時は、教育学部の高校体育課程は2年次から福山分校で学ぶため、チームが広大福山と広大千田の2チームが存在(さらに医歯学部チームもありましたね)していました。1年生で入部したのが全員で15人だったと思いますが、その中で高校体育を専攻するメンバーが11人、それ以外が私を含め4人でした。私以外の14人は皆競技歴、技術や筋力もあり優秀なプレーヤーでした。練習に初めて参加した日、ウォーミングアップのダッシュやジャンプを始めたのも束の間、私は脳貧血を起こしてダウンしてしまいました。その日は、ほとんど練習することなく球拾いをして過ごしました。これが一番せつなかった思い出でしょうか…その後も、下手くそな私は別メニューで先輩方に指導してもらったことを覚えています。先輩方、ありがとうございました。
Q3.現在、バレーとの関わりはありますか?
→部活動に直接携わることがなく、運動不足気味です。このこともあり、今は出雲市バレーボール連盟の中学生バレーボール教室を手伝っています。バレーをしたいけどバレー部がない中学校に所属している生徒たちを対象に、月に2、3回ほどですが練習しています。高校の男子バレー部員数がどんどん減っていく島根県において、一人でもバレー部に入ってくれればとの思いで活動しています。
Q4.現役の学生へ伝えたいことは?
→全体が見通せる人間、周りに気配りができる人間、そして職場に元気を与える人間になるよう、さまざまな経験を積んでいってください。バレーボールに携わっている人は、皆その資質を持っているはずですから。 |