コートの仲間第24号 OBからの一言


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つながることのお得感が身にしみた、ここ5年間のこと
44期 高田 由紀
 はじめまして、44期生の田(旧姓小西)由紀と申します。
 このたび、原稿依頼の連絡を受けまして、大変恐縮したのですが、せっかくの機会、会費も払い忘れの多い近年、せめてもの罪滅ぼしに、と受けさせていただきました。最近の自分を振り返り、報告します。何かが少しでも、現役生のお役に立てればと思います。
 さて、ここ5〜6年(35歳から40歳)の私の人生は、大きく3つのことでくくられます。それは、「教採合格(12回目の受験)」「初任者としての1年間と育休明けの半年」「転勤先での再出発と『学び合い』との出会い」の3つです。いずれにおいても、それを通じて身に染みたことは、「人とつながることのお得感」でした。
 というのも、私は社会に出るまで、(特に正採用で働くまで)あまり人に心から感謝することがありませんでした。もちろん、人並みに、結婚式で親への感謝の気持ちを手紙で読むくらいはしましたが、家族以外の誰かや仲間、集団に、すごく助けてもらって有難かった…というような経験はしてきませんでした。(実際にはすごく助けられていたと思うのですが、それに気づかないで34歳まで過ごしていました。)
 そんな私が34歳の時、子どもを二人育てながら、「非常勤は8年くらいやったけど、やっぱり正採用で先生をしたい。担任としてしっかり生徒と関わってみたい。一回やってダメならあきらめもつくけど、もし挑戦しないまま人生が終わったら、死ぬ時に後悔する!」と、教員採用試験の受験について、あらためて真剣に主人に相談しました。受験は毎年の恒例行事のようにしていましたが、それまでは、こっそり受けて、受かってしまえば何とかなるかな…くらいの気持ちでいました。
 しかし、ある時「受かったら家族の協力なしではやっていけないことだから、絶対相談すべきよ」と、同僚の先生に言われ、妙に納得。主人に相談し、返事はしばらく考えてから…という感じでした。何日か過ぎ、主人に聞くと、「ほんとにやりたいんじゃろ?じゃあ、受けたらいいよ。でも今年はもう時間がせまっているし、子どももまだ小さいから、来年受験して、再来年から働くんならいいんじゃないか」との返答。私は、「来年?今年がいいなと思っていたけど、ここは譲ろう。受験できるんなら」と、思いましたが、ここは、大手を振って受験できることが最優先。そうすることに決めました。
 まず、情報を集め始めました。私の周りには採用試験に合格していた人が何人もいたので、その人を頼って、どんな勉強をどのくらいしたのか聞いて回りました。その中にはバレー部の後輩である和田(その時は小川でした)智恵子さんもいました。彼女は私からのお願いに応え、便せん5枚もの量に、採用試験の準備について詳しく書いて送ってくれました。それを読んで、私は自分の今までの準備が、狭い範囲であり、独りよがりなものであったと感じ、考えを改めました。「よし、まずは多くの人に、願書といっしょに送る『自己アピール』文を読んでもらい、実技も見てもらおう。いろんな人の力を借りて、合格した時に周りの人に喜んでもらえるようにしよう…」そう思いながら、準備を進めていきました。
 その結果、12回目の受験でついに合格できました。面接も実技も、家族や周囲の協力のもと、事前の練習はもちろん、自分でビデオ撮影し、チェックしてはまた撮ってみる…ということも繰り返しました。自己アピール文は修正に修正を重ね、30回以上は手直しをし、なるべくたくさんの人に読んでもらい、感想を求めました。このことは面接の1番初めに話しましたが、そのときに、書類を見ていた面接官の顔がパッと上がったのを今でも忘れません。私の教師になりたい思いを印象づけることができたように感じた一瞬でした。
 こうして、多くの人に助けてもらった結果、試験に合格でき、家族や友達など多くの人に喜んでもらい、私は広島県採用の保健体育科の教諭として、呉市立昭和中学校でスタートを切りました。
 平成20年度、私の初任者としての1年間は怒涛のごとく忙しく慌ただしい1年間でした。2年生の担任。部活動はソフトボール部(経験はほとんどなし)。初任者研修として、180時間の校内研修に加え、毎週火曜日は校外での研修。研修1回ごとに作成する指導記録の書類…。校務分掌、学年の仕事。教科指導。私は臨時採用の経験もなかったので、「正採用の先生ってこんなに大変だったのか…」とびっくりする毎日で、へこたれそうになりながらも、周りの方に支えられて何とか1年間を過ごしました。この初任の1年間が終わるころ、私はお腹に3人目の子を授かりました。そして、採用2年目の1学期が終わった平成21年7月末に出産休暇、続けて育児休暇に入りました。
 育児休暇をしっかり3年間頂き、子育ても自身の充電もたっぷりして、職場に復帰したのが平成24年の8月16日。所属は3学年(全4クラス)。体育はその年から男女共習になっていたので、クラスごとに教えることになりました。
 ここからの半年が、想像以上にしんどい半年になるのですが、ここで私はいわゆる「できない子の気持ち」を思う存分学ばせてもらいました。何しろ、授業を始めてしばらく経って、どんどん授業が制御不能な状態になり、冬になるころには、空き時間の先生に来てもらわないとどうにもならない状況になってしまいました。復帰前は特に大きな問題はなかった学年が、あれよあれよという間に、落ち着きをなくし、とても責任を感じました。誰も「あなたのせいよ」とは言いませんが、自分ではよかれと思ってしている様々な活動のなかで、周囲には迷惑をかけてばかり…念願の正採用から実質2年目(育休の3年間を除くと)でしたが、「こんなに役に立てないのは、申し訳ない。学校に何の貢献も出来てない。ここで通用しないものが、たとえよその学校に行っても通用するとは思えない」と、次年度の人事希望調書を書く時期には退職も考えました。
 しかし、家族や管理職に相談する中で、「年度の途中からで、しかも一度も顔を合わせたことのない3学年に所属するのは誰であっても難しいこと。時が解決することもある。環境が変われば絶対に違うから…」と温かい励ましをもらい、気持ちをつなぐことができました。あの時に責められていたら、間違いなく私は教員を辞め、一生みじめな気持ちで過ごしていたんじゃないか…と思います。「ほかの人にはできていること(授業をするということ)ができない情けなさ、みじめさ、申し訳ない気持ち、自分への失望…」そんな気持ちをここで味わったことで、私はいわゆる課題の多い生徒の気持ちが実感として分かったように思います。
 平成25年の3月、卒業式が済んだあと、事情で私は1学年の体育を4時間だけ担当することになりました。3年生で授業が上手くいかなかったばかりで、しかもダンスをお願いしたいと言われ、緊張しました。「たった4時間でダンス…何をしよう」と考え、そのころ勉強し始めたばかりの『学び合い』(上越教育大学教職大学院 西川純教授提唱)でやってみることにしました。これが思いがけず生徒の姿に感動するものとなり、1学年の先生方にも喜んでいただけました。
 『学び合い』では「一人も見捨てない」ことが軸になります。全員が課題をクリアして初めて、めあての達成になります。その時は「全員がステージでダンスの発表をする」にしました。「一人で練習や発表をしてもかまわないけど、さえない思いをする人が一人もいないように」とも言いました。生徒たちは、グループ作りの段階から、自主的に放課後話し合ったり(ある男の子が入りたいグループに入れてもらえなかったことがきっかけで、話し合い、結局クラスの男子全員でやることになったクラスがありました)、昼休憩や休みの日に集まって練習するグループも出てきました。
 しかし、一つ気になっていたのは、あるクラスにいた特別支援学級のOさんでした。Oさんは「私はプリキュアをやる〜!」と言っていましたが、一緒にやろうとする生徒はいませんでした。でもOさんはそれを気にする風でもなく、練習もいつも一人で楽しそうに踊っていました。もちろん一人での発表もダメではありませんが、「一人でやりたいから一人でやっている」ということを全員が理解しているならば…の話です。私はその点についての話を発表会が済んだらしなくては…と思っていました。
 Oさんのクラスの発表会で、Oさんの順番がきました。一人で踊り始めたOさんの後ろに間もなく、なんと男子が5人ほど飛び入り参加し、見よう見まねでOさんと一緒に踊り出しました。そのうち、ステージ前で見ていた生徒たちが立って一緒に踊り出し、ついにはステージになだれ込んで、最終的にはクラス全員がステージでOさんを中心に踊るという、テレビドラマのような展開が目の前で起こりました。 信じられないような出来事に、鳥肌ものの涙ものでした。生徒に「すごいね。みんなが発表することができて、めあてを達成したね。私はすごく感動しました…」と言う私に「わあー、先生泣いとる〜」と生徒が言いながら発表会は終わりました。 それが今年(平成25年)の3月でした。そして3月末に、初めての転勤が決まりました。今は広島市の隣にある安芸郡府中町の府中町立府中緑ヶ丘中学校に勤務しています。1学年に所属し、教科体育と初任者指導、そして特別支援学級の担任をさせてもらっています。
 この学校でも「一人も見捨てない」を目指して、周囲とのつながりを大切にしながら、自分にできることをやっていこうと思っています。私の授業は『学び合い』でしています。『学び合い』は魔法ではないので、1回したからと言って、すべての問題が解決するわけではありません。でも、問題を教師一人が解決するのではなく、生徒と一緒にやっていくものなので、とても気持ちが楽になります。困ったときには、提唱者の西川純教授に相談できますし(メールすれば、どなたにも必ず返信くださいます)、全国にいる『学び合い』実践中の方とも、つながりをもち、相談したり、質問したりすることができます。『学び合い』に興味を持って、実践したり、授業参観に行ったり、府中緑ヶ丘中学校に授業を見に来てくれる広島大学大学院博士課程の方もいます。
 去年の今頃は、退職も含めて人生に迷っていた私ですが、40歳を目の前に(11月10日が誕生日)、今は「一人も見捨てない」という道に、今の自分をおいてみようと思っています。不思議な感じもしますが、これもすべて、家族や後輩・上司・同僚・『学び合い』の同志…さまざまな人とのつながりがあったからこそだと、今は心から感謝しています。一人ではできないことも、つながりがあれば可能になることがある…「今、苦しんでいる生徒や先生、一人でも多くの人を救い、すべての人が将来にわたって幸せになるように…」そんな志を胸に、自分のやれることを地道にやっていこうと思っている最近の私です。『学び合い』の授業はいつでも参観OKです。見られることによって子どもも私もエネルギーを得られます。興味のある方は連絡下さい。歓迎します。それによって、より多くの人と関わりたいと願っています。
 最後になりましたが、広大バレー部の現役生の皆さんには、毎年「コートの仲間」と「報告書」をありがとうございます。ご活躍を心から応援するとともに、少しでも皆さんのお役に立てることを…と考えています。(まずは、毎年忘れずに会費を払わないといけませんね。申し訳ありません。)この度は、このような機会をいただき、誠にありがとうございました。

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