コートの仲間第26号 OBからの一言


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広大卒業後も続くバレーボールとの関わり
35期 奈良井 瑞恵
 大学を卒業以来郷里の愛知に帰って高校教員になり、3年ほどバレーの顧問をしていましたが、縁あって島根に嫁ぎ、また教員としていろんな学校に行ったものの、バレーボールの正顧問にはなりませんでした。あえてではありませんが。それが思いもよらず原稿の依頼を受け、書きましょうねーと思ったのは偏に息子二人がバレーボールをしていて、やっぱり私の中でバレーが好きだなという気持ちがずっとあったからかもしれません。バレーを仲立ちにしていろんな人とつながって来たように思います。まとまりませんが今思っていることを書いてみます。
 私が大学の頃は2年から福山に行く当時教体の子たちが一年だけ一緒に練習していました。広大の男女バレー部がそれぞれ2つ存在していた時代です。違うチームとはいえ1年重なっていますから、案外仲良くしていて、お互い応援しあっていました。そして今の広大女子バレーはほぼ同じ学部のようですが私の時は様々でしたね。しかも顧問の先生がどなたかも知りませんでした!まさに自主運営。男女の主将はそれぞれ練習メニューを立てたり、先発メンバーも決めていましたね。本当に大変だったと今思います。ただそれが大学のバレーだと思っていました。自分たちで考え律するあり方は難しいものだなと思いましたが、その難しさは経験すべきものだったとも思います。
 上の息子はそれに中学校から直面しました。バレーを全く知られない先生が顧問になられてから、キャプテンとしてなんとかしようとする彼の姿はどこかに重なって見えました。ただ悩みながらも自分で考えてバレーをしてきたことは3年生でバレーをよく知り、指導力のある顧問に出会って結実します。乾ききったスポンジに水が染み入るように教えてもらったことを身につけていきました。飢えていたのだと思います。必要性を実感していたというか。おかげでバレーが本当に好きになって高校もバレー部に入って、これもまた顧問がほぼ来ない中、みんなでまとまって練習を運営していきました。その中で学んだこともまた大きかったようです。
 指導者ってすごく大事だなと思うと同時に、自分で考えて仲間と話し合って部活動に取り組むことの大切さも思うのです。実は彼が中3の時に出会った力のある指導者とは広大バレー部のOBです。しかも3年の時の1年生。1年限りの後輩でした。でも、よく覚えています。トスが上手くて、試合中声を出し続ける後輩として。そのS先生に今また次男が顧問してもらっています。子供二人ともセッター。下の子ははじめから厳しい指導を受け、時折弱音を吐いていますが、そんな時兄が、「適切な指導してもらえることってありがたいんだぞお前」なんてことを言うわけです。経験値が高い。たまに仲良く?世界バレーを見つつ、セッター談義をしたりしています。そこに私が加われるのがちょっとうれしい。
 愛知から広大へ行き島根に来て、そこでまた広大の後輩に息子の指導者として出会うって、なんなのかな?!とも思いますが、これもまたバレーが仲立ちしてくれた縁なのでしょうか。
 大学時代に思いもしなかったバレーボールとの関わりが今ここにあります。

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