ある日の夜、ビール片手にボーッとテレビを眺めていたら…知らない番号からの着信が。「生徒の保護者かな?」そう思いながら電話に出ると、広大バレー部の現役生からの原稿依頼でした。選手生活を終えて約1ヵ月。抜け殻になっていた私に、箍を締めるチャンスをくださったんだなと思い、引き受けさせていただきました。読み苦しい部分も多々あるかと思いますが、ご容赦下さい。
去る9月27日から30日にかけて、第70回紀の国わかやま国体バレーボール競技(成年男子の部)が、今年開祖1200年を迎えた世界遺産「高野山」の麓、橋本市にて開催されました。私は、一生に一度チャンスがあるかないかという“地元国体”の舞台に、増野彰監督(49期生:みなさんご存知だとは思いますが、広大卒業後、Vプレミアリーグの堺ブレイザーズで活躍され、今は和歌山県内の高校教諭としてご活躍されています)率いる成年男子チームの選手として出場しました。大学卒業後、2015年度の地元国体優勝を目標に過ごした4年間を振り返りたいと思います。
大学卒業後、故郷に帰り、中学校教諭として勤める傍ら、週3〜4回程度の練習をこなす日々。右も左も分からないままに社会人としてのスタートを切り、「教師」と「選手」という二足のわらじを履いた生活が始まりました。
国体バレーボール競技成年の部では、全国の各ブロックから勝ち残った16チーム(各ブロック代表15チーム+開催地1チーム)が集い、熱戦を繰り広げます。近畿ブロックからの出場枠は2チームですが、本県は前回の昭和46年に行われた黒潮国体(和歌山開催)以来、本国体には出場したことがないという状況からのスタートでした。私は、2012年の近畿ブロック予選から参加。この年は兵庫・京都・滋賀にいずれもストレート勝ちし、なんと41年ぶりの本国体出場となりました。岐阜清流国体では、一回戦で愛知県(豊田合成トレフェルサ)と対戦し、0−3で完敗。高さ、パワーはもちろんのこと、特に壁のようなブロックに圧倒されたことを今でも鮮明に覚えています。翌年度も近畿ブロック予選を通過し、スポーツ祭東京2013に出場。神奈川県(富士通カワサキレッドスピリッツ)にフルセット勝ちしたものの、広島県(JTサンダーズ)、鹿児島県(Cherry
Blossom)に惜敗し、7位入賞。そして、昨年の長崎がんばらんば国体では、埼玉県(埼玉アザレア)に敗戦。この大会では、昨年度の“コートの仲間”にて56期の音丸さんが書かれていたように、長崎県(主将は53期の下釜さんです)がVプレミアリーグのチームを破って、優勝。地元の熱いアツイ応援を背に躍動される姿を目の当たりにし、来年は自分達の番だなと身の引き締まる思いを胸に、長崎を後にしました。
和歌山県と言えば「野球王国」というイメージはあるかもしれませんが、団体競技よりも体操・なぎなた・ボート・ソフトテニスなどの個人種目の方が活躍している実状があります。その中で、バレーボール(成年男子)は3年連続近畿ブロック予選を突破していたこともあり、他競技に比べると期待をされている中で、地元国体に向けての準備を進めていきました。
メンバー構成は12人。約20名の強化指定選手の中から合宿等を通して選抜され、現役Vリーガーから大学生まで、上は36才から下は18才までが共存するチームとなりました。和歌山県内で勤務しているのはそのうち5人で、あとの7名は県外に活動拠点を置いており、チーム練習ができるのは週末の限られた機会しかありません。そのため、県内にいる選手でチームのベースを作り、その中にふるさと選手として帰ってくるプレーヤーを迎える環境作りに励みました。平日2回(仕事後19:00〜21:30頃)+週末の練習では、トップレベルの技術・トレーニングの指導を受け、キャリアのない私は着いていくことに必死で、「コートに立ったらとにかく精一杯声を出そう」その一心でした。チームにとって自分は何ができるのか、逆に言えば何を求められているのか…。「本当に自分で良いのだろうか」と悩んだときもありましたが、そんな時ほど、快く練習に送り出してくれる同僚の顔が思い浮かび、自分も、応援して下さる人も納得できるように日々全力を尽くすしかない…それがエネルギーの源だったように思います。また、チーム構成を考えると今年26才の私は中堅になるので、大学生も遠慮なくチームに溶け込めるようベテラン層との架け橋になろうと思い、自分の役割を何となく見つけることができました。
国体本番を迎えるまでに、今年度は、大学生やVプレミアとの強化練習試合も行われました。続けてきた練習・トレーニングが実を結び、7月の近畿6人制バレーボールクラブ選手権大会で優勝、8月の全日本6人制バレーボールクラブカップ男子選手権大会で優勝(和歌山県勢初)という成績を収めることができました。そしていよいよ9月に入り、組み合わせ抽選が行われ…1回戦の相手は、静岡県(東レアローズ)に決まりました。今年は、Vプレミアリーグからは、JTサンダーズ(広島県)、東レアローズ(静岡県)、FC東京(東京都)が出場しており、目標である優勝を達成するために「とにかく初戦に全力を注ごう」という意思統一のもとで最終調整を終え、大会当日を迎えました。
会場に入ると、応援席を埋め尽くす和歌山県の応援団。応援団長として、なおきさん(先日のワールドカップ日本代表でも応援団長を務められました)を招聘したことで、会場はものすごい一体感に包まれていました。試合中はとにかく必死だったため、内容ははっきり覚えていませんが、互角の試合展開はできていたと思います。しかし、相手を窮地に追い込む一手が打てずに19−25、23−25、19−25で敗戦となってしまいました。整列時は気持ちの整理がついていませんでしたが、フロアから出る扉の前で「ここから出てしまったら本当に終わってしまう…」と一気に涙がこみ上げました。私は、国体を機に選手生活は一区切りにしようと思っていたので、最後の舞台を最高の雰囲気の中で戦わせてもらえたことを幸せに思います。社会人になってからも、緊張感を持ってコートに立たせてもらい、一点を取るために食事や生活習慣など日々の生活にも気を配って過ごすことができ、忙しい日々ではありましたが、充実していました。現実は厳しいもので、敗戦した翌日から通常業務が始まりました。やり場のない思いを隠しきれないまま教室に向かうと…「先生、お疲れ!」と生徒達が迎えてくれ、教師冥利に尽きる思いでした。(最終的に、和歌山県は無事に総合優勝で幕を閉じました。)
現役生のみなさんに偉そうなことは言えませんが、働き始めてから感じていることをお伝えしたいと思います。それは、「人間困った時に助けてくれるのは“先輩の教え”だ」ということです。いくつか紹介します。
☆「最初から仕事ができるわけないんだから、一番に出勤して掃除から始めよ」
ゼミの先生に頂いた言葉です。今も一番に出勤して、職員室の掃除から私の一日は始まります。余裕を持って生徒を迎えられ、前向きに一日のスタートを切れます。
★「教師も人間。失敗したら、素直に謝って、学んだらええ」
特に一年目は、「教師だから失敗してはいけない」と思い、気づかぬうちに自分を追い込んでいました。職場の先輩に頂いたこの言葉には、本当に救われました。
☆「自主性と放任は紙一重である」
子どもキャンプで西村先生に、「子どもが選択肢を持てるように教えたうえで、自主的に選択させなければ、それは放任である」と教わったことが印象に残っています。常に先手を打って、生徒の成長を促せる真の教師になれるように…日々精進です。
まだまだありますが、書面の都合上これくらいにさせてもらいます。言うまでもなく、広大バレー部の仕事一つ一つには意味があり、将来必ず役に立ちます。色んなチャンスを成長するきっかけととらえ、たくさんの“師”と呼べる人を見つけてください。この度は、私のような若輩者にチャンスを与えていただきありがとうございました。最後になりますが、現役生のみなさんのご活躍を心よりお祈り申し上げます。
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