コートの仲間第27号 OBからの一言


Click your color !
 
同窓会トップページに戻る OBからの一言(2)に戻る OBからの一言(4)に進む

あれから16年?!
49期 葛田 明子
 今回コートの仲間の原稿依頼をいただき、ありがとうございました。自分の同級生(49期)の増野くんや高阪くん、古田くん、嵩原(旧姓 濱)さんは大変優秀なプレーヤーであり、学生だったので(今もすばらしいキャリアを積まれています。)私のような落ちこぼれに原稿依頼が来るとは思っていませんでした。何度も電話をくれた現役生に感謝します。・・・とはいえ、何を書いて良いものか・・・?思案したのですが、とりあえず卒業してからの16年をつらつらと書き連ねようと思います。
 大学を卒業したあとは、松原美保先生のおられる基町高校へ非常勤講師として4年間お世話になりました。松原先生はバレーボール部の生徒だけでなく、すべての生徒のことを心から思い、厳しくも温かくも育てておられる先生でした。先生の育てられる生徒は本当に強く優しい、筋の通った生徒たちでしたので、松原先生と生徒によってバレーボールの指導も、授業の教科指導も育てられた4年間でした。その間、高校保健体育の教員採用試験を受けるも、2次試験でことごとく落とされました。今思うと当然の結果であり、自分に足りないものは何かわかるのですが、そのころはわからず、(だから4回も落ちるんですが)採用試験に関しては何となく暗黒の時代でした。
 その後は、2年間福山の高校に赴任しました。まず方言や文化の違いにとまどい、生徒の差にとまどい、社会人の一人暮らしの孤独感にむしばまれました。最初はバレー部もなく、授業も成立せず、校庭にバイクは進入するし・・・何しに来たのかわからなくなりましたが、徐々に生徒の実態や私に求めることがわかり始め、・・・2年目にやっとバレー同好会を作ることができました。最初は「顧問なんかいらんのんじゃ、◎☆※?」という暴言から始まりましたが、気にせず対人レシーブをし、スリーマンをし、6人の練習をし・・・という毎日を送っていたら、生徒が私の目を見て話をしていることに気付きました。今までは返事もしなかったのに、何か言うと「はい!」と言っています。今までは当たり前のことでしたが、この時にそれが当たり前ではないこと、今までの生徒たちも「はい」と言いながら心の中では「いいえ」だったのではないか?と考え始めました。その後、部活動に承認してもらい、福山地区大会に13年ぶりに(13年前は現安古市高校の平木先生)出場することができました。惜しくもあと1勝のところで県大会に出ることはできませんでしたが、この経験が一回り私を大きくしてくれました。
 その後は、父(23期 佐伯直之)の病状が思わしくなくなったので広島市に戻り、中学校非常勤講師をしながら東京アカデミーに通い、念願の教員採用試験に合格しました。高校の経験を積みながら、中学校の教員になっているのは6年間の高校の採用数が少ないだけではなくて、非常勤講師・臨採の経験からもっと初期段階からバレーを通じての人間形成をすることが私の適性ではないかと考えたからです。
 長くなりましたが、そんなこんなで高取北中時代に(8年間)生体肝移植をし、父の命の恩人になり、まさかの結婚、産休育休を経て、現在城山北中学校に赴任して1年目になります。先輩の豊岡めぐみ先生からのバトンを受け継ぎ、自分のカラーを少しずつ足しながら指導しています。5月の選手権では4年間のブランクが響き、勝たせることができず選手には申し訳なく思っています。現在は新チームになり、この原稿が届く頃には新人戦が終わっている頃・・・どうなるかお楽しみですが、近隣の高陽高校の大信先生、安古市高校の平木先生、安佐中学校の池上先生、そして、市商高校の父に鍛えてもらいながら、いい結果を待とうと思います。長くなりましたが、現役生の皆さん、これから社会に出る皆さん、若い今、できる限りのことを吸収し、成長して下さい。私も負けずに頑張ります。長文になりましたが、最後まで読んで頂きありがとうございました。

同窓会トップページに戻る OBからの一言(2)に戻る OBからの一言(4)に進む

Copyright (c) 2016 広島大学体育会バレーボール部 All right reserved.
赤 黄 緑 水 青 紫 灰 白 黒